寺島宗則関連エントリー

備忘 寺島宗則40

... 松木の功名心も其時には二百俵の米を貰ふて将軍に文明説を吹込むぐらゐの事で、当時の洋学者の考は大抵大同小異、一身の為めに大きな事は考へない。後に其松木が寺島宗則となって、参議とか外務卿とか云ふ実際の国事に当ったのは ...

備忘 寺島宗則40

備忘 寺島宗則37

自分用に。 十四年の真面目の事実は、私が詳らかに記して家に蔵めてあるけれども、今さら人の忌がることを公けにするでもなし黙っていますが、そのとき私は寺島とごく懇意だから何もかも話して聞かせて「ドウダイ僕が今 ...

備忘 寺島宗則37

備忘 寺島宗則38

前回の記事では、はからずも福沢さんにいちゃもんをつけたようで~。別に福沢さんの話は信がおけないというわけではないんですよ、ということを一応書いておきたいと思います。 ...

備忘 寺島宗則38

備忘 寺島宗則39

続きますが、寺島さん、です。 文久元年12月、幕府は竹内さんを正使とする使節団をヨーロッパへ派遣します。万延の遣米使節団に継ぐ遣外使節第2弾、初の遣欧使節です。 えー、これに寺島さんは参加します。帰国は翌年の12月。 ...

備忘 寺島宗則39

六月六日アァぁ!寺島 宗則という男を殺したのは貴様かァア ...

つまんなくても、やると決めたからにゃ、やりますばい! はあ~、あと七月と八月で終わりやね。

六月六日アァぁ!寺島 宗則という男を殺したのは貴様かァア ...

寺島宗則とは?

寺島 宗則(てらじま むねのり、1832年6月21日(天保3年5月23日 (旧暦) 5月23日)- 1893年(明治26年)6月6日)は江戸時代後期の幕臣、明治時代の政治家である。名は徳太郎、または藤太郎。別称に松木弘安。
1832年、薩摩藩出水郡出水郷脇本村の郷士の次男として生まれる。江戸に出て蘭学を学び、薩摩藩主島津斉彬の侍医となったが、斉彬の死後に薩摩藩を離れて幕府の蕃書調所に勤めるようになる。薩英戦争においては捕虜となる。1861年、幕府の第1次遣欧使節の一員として渡海し、1865年の第2次遣欧使節にも参加した。
明治維新後は遣欧使節での経験を生かして外交官となり、1873年には参議、外務卿となる。西南戦争後の政府の財政難から税権回復を目指し、1879年には諸外国との条約改正に臨み、アメリカとの交渉は良好に進むがイギリスの反対などで挫折している。その後、外交官を辞職し、元老院議員、枢密院顧問などを務める。1893年、62歳で死去。

寺島宗則の詳細